令和5年上野の「杜」と「まち」をつなぐエントランスロビー空間活用イベント・11月26日「上野広小路ヒロバ化実験」を開催します!
「上野広小路ヒロバ化実験」は、中央通りの一部と袴腰広場を「杜とまちの回遊性向上」の懸け橋とするため、上野まちづくり協議会(主催)と台東区(共催)で行う試みです。道路の一部を歩行者のための場所とし、公園と一体的に活用することで”杜からまちへ”、”まちから杜へ”歩いてまわれるように、道路上で滞在できる仕掛けやキッチンカーの出店、音楽演奏などを実施します。この試みを体験しにぜひ現地へお越しください!
日 時
令和5年11月26日(日曜日)
イベント時間 :午後0時30分から午後3時30分まで
交通規制時間帯:午前11時45分から午後4時まで
(規制区間については当サイト下に掲載しております案内図をご参照ください)
※荒天時
・イベント:中止
・交通規制:実施
場 所
・京成上野駅正面口前の中央通り車道一部区間
・袴腰広場(上野恩賜公園内)
開催概要
主催 上野まちづくり協議会
共催 台東区
協力 上野観光連盟・上野中央通り商店会・上野文化の杜新構想実行委員会・京成電鉄・東京都・NPO法人おりがみ・UENO bridge・筑波大学五十嵐泰正研究室・東京藝術大学藤村龍至研究室
事務局 RFA
問い合せ先 上野まちづくり協議会(03-3833-0030)
当日の交通規制について
交通規制時間帯:午前11時45分から午後4時
通行止区間 :図の赤色部分
迂 回 路 :図の点線矢印部分
※その他一部車線規制あり
開催趣旨
上野のメインストリート・中央通りはかつて、歴代の江戸幕府の将軍が江戸城から寛永寺に至る御成道でした。門前町として開けた上野を貫く通りはまっすぐ上野山内に延び、その山と街の境目に袴腰の広場がありました。
時は移り明治時代になると、上野の山はさながら文明開化の展示場として、文化施設の立ち並ぶ近代公園となりました。政府は変わっても、江戸/東京の文化の中心としての上野の山の重要性は変わりませんでした。そして、上野公園に至る中央通りは、単なる交通のための道路ではなく、行きかう人々が思い思いに振る舞うまさに「広小路」であり、街と公園をつなぐ袴腰広場こそが上野の玄関口だったのです。
明治12年(1879年)の袴腰周辺
昭和4年(1929年)の袴腰周辺
さらに時代は下り、モータリゼーションの時代になると、中央通りの主役は自動車になり、街と山をめぐる人々の回遊性や上野としての一体感が失われてしまいました。それでも1970~80年代の週末には歩行者天国が開催され、上野の街の真ん中の路上に、さまざまな人たちの笑顔が溢れる時代がありました。
昭和48年(1973年)の中央通り
それから50年。少子高齢化とインバウンド観光の隆盛、そして脱炭素が求められる時代になり、街の主役をふたたび歩行者に取り戻してゆくことが大きな社会課題になっています。この上野広小路ヒロバ化実験は、将来的な上野地区の歩行者優先化と、街と山をつなぎ上野を象徴する玄関口の再構築というビジョンのもとに、中央通りの一部を車両通行止めにし、居心地のよい路上空間を1日限定で復活させる試みです。晩秋の1日、ビールやコーヒーを片手に、上野の真ん中でこの街の過去と未来に思いを馳せていただく機会となれば幸いです。